【たねまきコラム】国際雑穀年は世直し元年 沖縄のご先祖様が教えてくれること


【たねまきコラム】第5回目のテーマは「雑穀」です。沖縄県で活動する「キッチンから社会を変えるあんまーずネットワーク」共同世話人である中曽根直子さんからコラムが届きました!
中曽根さんは沖縄雑穀生産者組合 組合長、そしてヴィーガンレストラン、オンラインショップを展開する「浮島ガーデン」店主でもあり、地域に根付いた取り組みをされています。
沖縄県の雑穀にまつわる、文化、伝統、そして人と暮らしで紡がれたこの物語から、雑穀の奥深さ、そして現代の日本の「食」が失ったものを教えられます。

今年は国際雑穀年です。OKシードプロジェクトでも昨年10月に学習会を開催しましたが、これからの私たちの「食」に、雑穀は重要なキーワードです。
今後もOKシードプロジェクトでは雑穀について、皆さんと一緒に学びを深めていきます。

-------------------------------------------
「国際雑穀年は世直し元年 沖縄のご先祖様が教えてくれること」 中曽根直子(キッチンから社会を変えるあんまーずネットワーク共同世話人、沖縄雑穀生産者組合 組合長、浮島ガーデン店主)


 沖縄で「キッチンから社会を変える!あんまーずネットワーク」を、金城ふじのさんと一緒に共同世話人をやっています中曽根直子です。ちょっと聞きなれない「あんまー」とは沖縄の言葉で「お母さん」という意味で、お母さんたちが(もちろんお母さんでなくても)食の問題について共に学び語り合い、つながり合えたらいいなと、1年前に結成しました。
 月に1回、公民館で食のお話会をするというゆるい会ですが、結成から数ヶ月で八重山まで含めると50人ほどの仲間ができ、そのおかげで、今年2月には、「ゲノム編集トマト苗を受け取らないで」の陳情・要請を県と41市町村に送ることができました。
 陳情・要請の方法は「北海道食といのちの会」さんがシェアして下さったものを模倣させていただき、回答のなかった自治体への電話作戦もマニュアルを見ながら必死で展開中です。こういった情報がなければ運動に携わったことのない私たちは何もできなかったと痛感しています。OKシードプロジェクトの全国をつなぐ取り組みにあらためて感謝いたします。ありがとうございます。

 さて、今回、沖縄の雑穀をテーマに書かせていただくチャンスをいただきました。なぜ私が雑穀の活動をするようになったのかと言いますと、12年前、那覇で雑穀を使ったヴィーガン料理の店「浮島ガーデン」を立ち上げたことがはじまりです。
 この店では沖縄の有機野菜と雑穀で料理をすることを肝に銘じてきたので、沖縄にもちきび以外の雑穀がないことが私にとっては大問題でした。雑穀はご存知のようにいろいろな種類があって、例えば高キビは畑のひき肉、ヒエは畑のお魚、もちきびは卵、粟は乳製品という感じで、それぞれの味わいを活かしてヴィーガン料理をクリエイトします。ですので、せめて高キビだけでもいいから沖縄県産が欲しかったわけです。
 私は店をオープンする2年前から雑穀料理教室をスタートさせ、趣味で高キビ(野口種苗から購入した岩手県産のもの)の栽培をはじめていましたが、店がはじまってからは農家さんの空き地を借りて種の更新や、栽培したい方に種を渡すために高キビを育てていました。
 
 浮島ガーデンのオープンから2年くらい経ったある日、久高島で「トーナチン(高キビ)」を栽培していたという節子さん(80歳)に出会いました。トーナチンは台風ですべて失ったから、私が栽培していた高キビを栽培したいと言ってくれたのがキッカケで交流が始まりました。トーナチンとは沖縄在来種の高キビのことです。沖縄の市場へ行くと、独特な香りを放つ月桃に包まれた餅(ムーチー)が売られているのを見たことがあると思います。ムーチーはもともとはトーナチンの粉を使って作られていた琉球銘菓ですが、今はもち粉で作られています。さて、節子さんは数年間、私が持ち込んだ岩手からの高キビを栽培し続けてくれましたが、この高キビよりトーナチンの方が美味しかったからトーナチンが栽培したいと言い出し、しばらくすると南城市奥武島から在来種を手に入れ、現在、久高島ではめでたくトーナチンが栽培されています。
 面白いことにちょうど同じ頃、波照間島の五穀農家とんちぇ農園の西里さんも、私が持ち込んだ高キビよりも、自分が子どもの頃に食べていた在来種の高キビ=ヤタプーの方が餅みがあって美味しかったと言い出しました。どこかにあるはずと言いながら、探し続けること数年。五穀の神様はいますね。波照間島でも在来種が手に入ったのです。どうやって見つかったのか、当時の記憶が私も西里さんも曖昧で、正確な状況がお互い思い出せないのが残念なのですが、西里さんの親戚か、奥さんの方の親戚か、どちらかの農作業小屋の中に昔収穫された1本のヤタプーがあり、それを家の敷地に全部蒔いたところ、たった1粒だけ発芽。そのヤタプーが見事稔りをつけたのを見て歓喜乱舞したのはしっかり覚えています。在来種が未来へつながることができた瞬間です。そしてたった1粒のヤタプーが3度目の種まきの際には数百キロの稔りをつけた。「一粒万倍」を目の前で魅せてもらったのです。

 このことがあってから、やはり雑穀の在来種を残すというアクションをしなければと強く思うようになりました。しかし雑穀をつくるには脱穀・調整のための機械、色彩選別機、雑穀を乾燥させるためのハウスなど、資材・資金が必要で、沖縄の小規模農家さんにそんなお金の余裕はありません。どんな呼びかけをしたらいいのか、どうやったらうまくできるのか全くわからなかったのですが、とりあえずやってみようと、店でつながりのある有機農家さん10農家ほどだったと思いますが、彼らに声がけし、想い一発で2017年に沖縄雑穀生産者組合を立ち上げました。
 その年は内地からプロの雑穀農家さんを招いて雑穀栽培・調整方法の講習会などを2回行ってもらうなどして、はじめての高キビ栽培に皆さん一生懸命取り組んで下さったのですが、高キビの種まきをした直後の3月、ありえないほど気温が下がったことが原因でほとんどの農家さんがうまく栽培することができず、2年目には大半の農家さんが組合を去っていきました。
 このようにして雑穀生産者組合は船出から厳しい経験をしましたが、あきらめなければどうにかなるもので、毎年、誰かしら栽培したいと名乗り出てくれる方がいます。伊良部島の佐良浜で地域の神事を行う司をしてきた長崎さんが分けて下さった在来の粟を栽培したいと、いろいろな方が栽培に挑戦してくれました。中には高校の先生が生徒たちと取り組みたいと、学校の中の畑を見事な粟畑にしてくれたり。その中でも石垣島の吉本さんの粟は見た目も上等で大豊作になり、2019年の大嘗祭では沖縄県を代表して彼女の粟を「庭積の机代物」にすることができました。なぜ大嘗祭に沖縄から粟を出したのかと言えば、これをきっかけに沖縄の雑穀を絶対復活させるのだという、自分の中での誓いの場にしたかったのです。天に本気の想いを放った感じです。その後、しばらくすると同時多発的に沖縄本島の有名な有機農家さんから粟で泡盛を作りたいから組合に入りたいとか、粟国島では粟ビールが作りたいから種を分けて欲しい、大きなホテルからも雑穀栽培に取り組んでみたいと連絡が相次いで来ました。現在は久高島・波照間島・小浜島・西表島・宮古島・渡名喜島の農家さんたちが高キビを中心に栽培しています。


波照間島のもちきび収穫写真


久高島 高キビ栽培


久高島の節子さんとトーナチン

 もともと沖縄は日本に負けない五穀の島です。それは神歌をみればわかります。何百年もの間、歌い継がれている神歌の中には幾度となく「赤椀の世直し」や「ユバナウレ」「ユヤナウレ」というフレーズが登場します。一見、意味不明な言葉ですが、これはどれも「五穀が豊作であれば世が良くなる」という意味で、神歌だけではなく民謡や島歌の中にもたびたび登場しています。
 今も豊年祭をはじめとした農耕儀礼がしっかりと行われている八重山の島々では、儀礼の際に赤いお椀「赤椀」が登場します。その中にうやうやしく注ぎ入れるのは神に捧げるための「神酒」。どの島にも神酒を注ぐ時には歌を歌います。与那国島には神酒の歌を専門に歌う「献盃女」がいるほどです。神酒は昔は口噛み酒でした。今は口噛みはもちろんなく、ミキサーで作っていて、お米で作るところがほとんどです。でも島々の方にヒヤリングすると、与那国以外は粟でつくられていたよーとのこと。戦後、粟がほとんど栽培されなくなってから、神酒はお米で作られるようになったようです。神歌にたびたび登場するフレーズ「赤椀の世直し」とは赤椀に注ぐ神酒、その元となる粟が豊作であれば世が直るという意味であると解釈できます。
 沖縄のお酒・泡盛も、はやり八重山では米でなく粟だったようで、西表の歌集の中に「粟盛」という言葉を見つけた時、やっぱりねと、とても嬉しくなりました。実際、黒島で粟を栽培していた方が、子どもの頃は「粟盛」が薬の代わりだったよとおっしゃったので、これは間違いないと。他にも粟の話をしはじめると止まらなくなるので、また別の機会に語りたいと思います。

 さて、今年は国際雑穀年です。なぜ国連が今年を国際雑穀年にしたのか?世界人口はついに80億人に突入しました。人口はどんどん増えているのに、気候変動は激しくなり、不作による食糧難も予想されています。そんな気候変動対策として、国連は栄養価が高く、気候対応力があり、土地を選ばずに栽培できる雑穀の良さを見直したいと、今年を国際雑穀年に制定したそうです。農業大国インドでは数年前から小麦栽培をやめて、もともとあった雑穀栽培へと切り替える農家さんが増えているそうです。
 国連はこのように雑穀に気候対応力があると言いますが、実際はどうでしょうか?私が知っている限り、沖縄では2017年頃から気候がおかしくなり、この3年、雑穀は不作です。波照間島のとんちぇ農園さんは豊作の時は4トンのもちきびを収穫していますが、昨年は数百キロです。西表の米も私が知っている農家さんのほとんどが不作です。農業は毎年、資材・肥料・ガソリン代がかかるばかりでなく、機械が定期的に壊れます。特に米農家のトラクターは大変高額なのにたった5年で壊れるそうで、私が知る米農家は40年近く借金返済と闘っています。その上この気候変動で収入は大幅に減少しています。もう農業は続けたくても続けられない、継がせたくても継がせられないと、同じ悩みを抱えている農家さんが日本中にたくさんいるのだろうと想像します。彼らの悩みを解決する術を持たない自分の無力さに涙があふれますが、私にできることをあきらめずにただ続けてゆくしかない。沖縄のご先祖が神歌に託した「ユバナウレ=五穀が稔れば世が直る」という重要なメッセージを、ひとりでも多くの人に伝えたいです。皆さんが住んでいる土地で五穀を栽培し、それを食べること。ただそれだけで社会は良くなり、人も良くなると、そんなシンプルなことを沖縄の神歌・ご先祖様は教えてくれています。
 
 最後に。2000年前から連綿と続く大嘗祭でなぜ粟が米と共に天照大神に捧げられるか、ご存知でしょうか?岡田荘司著「大嘗祭と古代の祭祀」によれば、「粟は非常時のために飢饉の備蓄とされており、民生安定には欠くことができない食料であった。大嘗祭には、災害の予防が祈念されており、天皇祭祀の本質は、稲だけではなく、粟の祭祀が重要であった。」と記されています。雑穀は何十年も備蓄できます。そしてそれはお肉やお魚味にすることができ、おいしく食べられます。これからどんなサバイバルがはじまるのかわかりませんが、いずれにせよ、雑穀は未来を生き抜くための鍵となる食べ物であることは間違いないと思います。国連がありがたくも制定してくれた国際雑穀年の今年を世直し元年と捉え、農家さんとともに誰も飢えることのない沖縄をつくってゆきます。


◆キッチンから社会を変えるあんまーずネットワーク
https://www.facebook.com/groups/425774879203995/

◆浮島ガーデン
http://ukishima-garden.com/

◆「雑穀街道をFAO世界農業遺産に」OKシードプロジェクト学習会動画
https://www.youtube.com/watch?v=jucNJsWpivI


関連記事

この記事のハッシュタグ から関連する記事を表示しています。

たねまきコラム:菌ちゃん先生に聞いてみた!

たねまきコラム:UPOVータネの独占を世界的に進める仕組み

たねまきコラム:「あきたこまちR」は「あきたこまち」と同等ではない—なぜコメの放射線育種に不安を感じるのか

写真は活き活きと芽を出すジャガイモ。

たねまきコラム:ガンマ線からゲノム編集へ? 「照射ジャガイモ」に終止符!

「ヘチマおじさん」としても活動する川田さん

【たねまきコラム】静岡県議会から国への「ゲノム編集食品等の表示を求める意見書」が採択

【たねまきコラム】始まる!広がる!有機給食の波/写真は給食をほおばる幼児

【たねまきコラム】始まる!広がる!有機給食の波

最新記事

カテゴリー

アーカイブ

ハッシュタグ

OK$B%7!<%I%&%'%V%P%J!<(B

ページの先頭へ