竜宮城と秘密養殖場-宮津ツアーリポート

4月某日、世界で唯一の「ゲノム編集」魚の養殖場がある宮津市を、OKシードプロジェクトの全国各地の有志メンバーが訪れました。
自然環境が美しく、地魚が豊かな宮津市で、「ホンモノ」を味わう「宮津ホンモノ地魚(ぢざかな)ツアー」です。
それでは、はたして「ニセモノ」対策は??
この現地ツアーの様子を、北海道食といのちの会会長の久田徳二さんがリポートしてくださいました。
ぜひお読みください。

------------------------------------

『竜宮城と秘密養殖場-宮津ツアーリポート』
北海道食といのちの会 会長 久田徳二

 宮津は「竜宮城」だったのかもしれない。夢のような4日間だったから。それは、「自粛」生活やオンライン会議などに追われる、鬱々とした日常とは打って変わった日々だった。
4月16~19日。五感が蘇る自然の中で、跳ねる魚を手で掴み、捌いて味わった。仲間とともに盃を傾け歌った。なんて素敵な時間だろう。もしかして夢ではないのか。亀を助けた覚えはないが、間違って竜宮城に迷い込んだのか-。
 丹後半島先端近くには「宇良(うら)神社(浦嶋神社)」がある。ここは浦島太郎の竜宮城伝説が残る地だ。

 「宮津ホンモノ地魚(ぢざかな)ツアー」。そんな名が付けられた。宮津は地魚が豊かだが、残念なことに「偽物」と呼ぶべき魚が存在する。全国でここだけ、遺伝子操作された魚が飼育されている。操業者はリージョナルフィッシュ(RF)=直訳では「地魚」=社。安全性や環境影響は問題ないと同社は主張するが、科学的裏付けも国民の信頼もかなり乏しい。
 それが「偽物」と確信できたのは、地元の漁師たちの次の言葉を聞いた時だった。
 「気色悪い」「食べたくない」
 新聞に掲載されたゲノム編集マダイの写真を見た地元の漁師さんたちがそう漏らしたと、noco(ノコ)さんに聞いた。ツアーの受け入れ側である地元民間グループ「麦のね宙(そら)ふねっとワーク」(麦ふね)の代表のお一人である。長年ホンモノを糧にしてきた漁師さんには真偽がひと目で分かるのだろう。
 ツアーに参加したOKシードプロジェクト(OKSP)のIさんが言った。「尾びれが変形している。無理やり筋肉を増やしたからではないか。動物虐待と言える」

 今回のツアーのミッションは二つあった。第一は魚をはじめとするホンモノの宮津を心底味わうこと、第二はニセモノ対策である。まず、ホンモノの話から。

 初日夜。函館から到着した北海道食といのちの会のYさん、宮津在住のお二人と合流したのは宮津駅前の居酒屋「富田屋(とんだや)」でだった。
 笑顔が最高に素敵で言葉が柔らかなnocoさん。静かで控えめな仙人のようなGandhi(ガンジー)さん。対面が叶ったことを祝い、ツアー準備に感謝し、翌日以降の計画などを話しながらの食事。早くもワラサやエビなど地魚が次々に登場し、宴は盛り上がった。

 駐車中のキャンピングカー「6号室」に、その主「ROKU」(ろく)が待っていた。ラブラドール系の大型犬だ。ROKUから熱い歓迎を受ける。初めてお邪魔する風の谷のお宿「よっこら諸島」に到着。ほっとする名前である。隣棟の釣魚音酒BAR(つりぎょおんさかばー)「ヤポネ島(しま)」で二次会となった。地酒がおいしい。Gandhiさんのギターが心地よい・・。
 
 翌朝、沢山の魚たちに出会うことになる。京都府漁業協同組合(JF京都)の小田事業所。4人は、ここで早朝から開かれる市に出かけた。20台近くの車が集結し、車内で人々が船の到着を待っている。宮津の飲食店や旅館の業者たちや近所のお母さんたちなのだそう。
 漁から戻った船の到着を知るや、人々が車を降りて魚捌き場に集結。JFの小型漁船から岸に揚げられたばかりの魚たちが、箱に詰められて捌き場に置かれる。

【岸に揚げられたばかりの魚たちが捌き台に載り、職員の手で魚種別に小箱に移される】
【岸に揚げられたばかりの魚たちが捌き台に載り、職員の手で魚種別に小箱に移される】

 ここからが魚を獲りあう「地上戦」。人々が我先にと欲しい魚を掴んで自分のバケツに放り込む。我々4人が集めたのは、イトヨリ、ホウボウ、マダイ、ツバス、サゴシなど計10魚種5.2kgだった。バケツを会計に持参。職員が魚種別に重さを量りキロ単価を乗じる。なんと合計3110円。安い。
 若狭湾沿岸で漁獲され、朝のうちに市民に安価で売られる。「地産地消」あるいは「地魚地消」。こんな市が毎朝開かれていることに、Yさんは「私なら毎朝でも来ちゃう」と感動。「函館でもやって欲しい」と熱く語っていた。
 早朝は雨曇が厚かったが、市が終わるころには晴れ間が拡大した。このためnocoさんが「海に出ますか」と提案。北海道組2人は飛び上がって喜んだ。nocoさんの愛船(4㌧。10人)に乗り込む。「TIDANESIA」(ティダネシア)号。「太陽の島々」という意味だ。ROKU以外の4人は全員救命胴衣を装着。Gandhiさんが錨を揚げる。1級小型船舶操縦士免許を持つ船長nocoさんが舵を握る。
 宮津湾のほぼ中央部。広い湾内でも数カ所しかないという釣りの「ポイント」だ。Gandhiさんが作ってくれた仕掛けの針に餌を刺して海中へ沈める。錘が海底に到着し糸が緩んだら、リールで少しだけ巻き上げて止める。

【風に揺れるTIDANESIA号上で、フィッシングに夢中になる北海道組2人。手前がROKU】
【風に揺れるTIDANESIA号上で、フィッシングに夢中になる北海道組2人。手前がROKU】

 Yさんの竿に最初の当たりがすぐに来た。なんと鯛である。ホンモノらしく魚体が美しい。「釣ったらニセモノだった」という未来はなんとしても避けたいなどと思う。続いて私の竿にも次々と来た。鯵、カナガシラ。仕掛けの3つの針すべてに鯵がかかった事もあった。逃げられたり、見事釣りあげたり。悲鳴や嬌声が洋上に響く。nocoさんの絶妙な操船とGandhiさんの釣り指導のお陰で、1時間強の間に2人で16匹の釣果となった。市場といい船釣りといい、宮津の海の豊かさを存分に味わうことになった。
 これらで得た魚たちは、17日夜のBBQパーティーと18日夜の「地魚縁会」に供された。nocoさんとGandhiさんが料理。刺身は頭と尾を付け、魚種名が短冊に書かれ、大皿に花とともに美しく盛られていく。調理時、私は温泉に入っていたので直接拝見していないが、仕上がりを見れば包丁捌きが素晴らしいことが分かる。
【ヤポネ島での地魚縁会のためにnocoさんが腕を振るった地魚の大皿】
【ヤポネ島での地魚縁会のためにnocoさんが腕を振るった地魚の大皿】

 刺身のほか煮魚やてんぷらあり、魚卵やイカの料理あり、タコ焼きあり、鶏や地元の無農薬野菜あり・・。「乙姫様の御馳走に 鯛や比目魚(ひらめ)の舞い踊り」(童謡『浦島太郎』)とはこのことかと思う。
BBQ小屋の横にある屋外台所で、北海道組の二人が自分達で釣った魚を捌いた。刺身や「なめろう」に仕上げ、皆さんのテーブルへ。意外に受けた。

 ここでツアー参加者をご紹介しよう。宮津組はお二人のほか、「麦ふね」を一緒に立ち上げためぐみさんのご夫妻。そしてRさん、Kさん、Bさん、Uさん、Tさん、Cさん夫妻。そしてROKU。全国から集まったのは、OKSP代表のNさん、同事務局のIさんとHさん。日本の種子を守る会事務局のSさん、「食と農を守る会徳島」代表のSさん、長周新聞記者のHさん、北海道組の二人だ。
 BBQは宿の前の小屋で心地よい夜風に当たりながら、「地魚縁会」は「ヤポネ島」で暖まりながら、夜まで楽しい食事や語らいが続いた。宴後半は、徳島のSさんとOKのHさん、Gandhiさんと私は楽器と楽譜を手離すことなく、深夜まで歌うことに。眠たかったほかのみなさん、御免なさい!

【BBQ小屋で山海の幸を食しながら熱く語りあう宮津の方々とツアーメンバーたち】
【BBQ小屋で山海の幸を食しながら熱く語りあう宮津の方々とツアーメンバーたち】

 18日にエクスカーションで訪れた上世屋(かみせや)地区は目を見張るものが多かった。主に「麦ふね」のめぐみさんの手配でプログラムされた。
 古民家を改造した和紙工房「いとをかし」では、和紙クリエイターの大江歩さんが原料栽培から紙漉き、製品制作までされている。柔らかく温かみのある和紙と製品群を拝見し、一部に触らせていただいた。他の繊維や草花、砂などを取り込んだ独創的な紙や、藍色ほかさまざまな色を放つ美しい紙。それで制作された封筒、障子紙、ランプシェードなどの洗練されたデザインと癒される感覚に一同すっかり魅入られた。
 また、藤織り工房「ののの」では、織り手の斉藤麻弓さんにお会いし、藤織の布に初めて触れた。鞄を手にしたが、繊維がかなり丈夫で、それでいて麻より柔らかい。蔦の皮をはぐなどの工程も初めて教わった。実際に糸を撚る様子も拝見した。
 日本の天然布の原料には麻、絹、綿のほかに、古代布の一つとして藤がある。斉藤さんによると、藤織は万葉集にも読まれた古い織物で、江戸期に木綿生産が急速に広まるまでの長い間、北海道と沖縄を除く各地で庶民が織ってきた。狭隘な山間部では木綿栽培面積確保が難しいため自生藤に頼る部分があったものの、木綿に押されて文化が薄くなっていく。昭和期に全国で途絶えたと思われていたが、1962年に世屋地区で織られていることが判明したことから、全国各地に保存伝承の会が生まれ、現在世屋から文化を学んでいるという。
 世屋には「つなぐ棚田遺産」(農水省が271カ所認定)の一つ「上世屋・松尾の棚田」があり、高台の「松尾の一本桜」からは周囲の棚田とともに、宮津湾から敦賀近くまでの遠景を見渡せる。
 これら一つ一つがすべてホンモノの「宮津の宝」だ。宮津の宝は、何と言っても素晴らしい人々であることは言うまでもないが、このほかにも挙げたらきりがない。内海のため波が穏やかな宮津湾の海そのもの。サンセットクルーズで観た夕焼け。針広混交天然林とみられる周辺の山々の豊かな樹々。リフトで登った「ビューランド」で股の間から覗いた天橋立。波が大きく砂が美しい「おっぱま」の景色。市内で食べた「丹後ばら寿司」や「黒ちくわ天ぷらそば」。今回は味わう機会を逸したが「オイルサーディン」「へしこ」「焼き鯖寿司」・・。
【宮津湾の西の山々に沈もうとする夕陽を洋上鑑賞するためTIDANESIA号で出港するツアーメンバーたち】
【宮津湾の西の山々に沈もうとする夕陽を洋上鑑賞するためTIDANESIA号で出港するツアーメンバーたち】

 「ニセモノ」の話に移る。

 ご存知のように、「麦ふね」は宮津市議会に対し3月、安全性が確認されるまでゲノム編集魚をふるさと納税返礼品から除外することなどを求める請願を行った。同議会は5月中旬現在、継続審議中だ。審議過程で「麦ふね」のお二人は議場で堂々と意見を述べられた。またRF社の幹部も陳述した。
 主な焦点となっているのは、第一にゲノム編集魚の食品安全性と環境影響を確認できるのか、第二に養殖場で使用する餌や薬品、死病魚などによる環境汚染の心配を解消できるのか、第三に魚や養殖場の実態の情報を市民に充分に公開できるか-の3点と思われる。いずれも市や事業者に求められるが、現在まったくできていないと言わざるを得ない。それどころか、社員に「誰にも話すな」などと箝口令を敷いているらしく、内部は一切見せないという姿勢が続いている。よほど見られたくないものがあるか、知られたくない実情があるのだろう。まるで「秘密の養殖場」なのである。
 今回のツアー参加者でRF社養殖場内部を直接見たことのある人はいない。いったいどのような魚でどのように飼育されているのか、どんな泳ぎ方をするのか、うまく育つ割合は、水や餌や薬品はどう管理しているのか、魚や魚卵を含む水は海にどう放出されているのか、ヒトが食べ続けたら何が起きるのか・・。とにかく謎だらけだ。私たちだけでない。宮津市役所や市議会のメンバーの多くも知らないのではないだろうか。
 私も宮津市長やRF社に聞いてみたいし要望も伝えたい。実物を見せてもらいたいし、とにかく会って意見交換したい。市幹部やRF社員に電話するなどいろいろな方法を試してみた。一時は市長表敬訪問や担当部長と会う日時まで設定できた。しかしその後キャンセル通告の電話が来た。OKSPだと知ってから態度が変わったようだ。極めて残念だ。ツアーメンバーで協議し、陸上養殖場は外から見学し、市幹部には最低でも要望書を渡そうということになった。

 養殖場を17日に訪れた。関西電力エネルギー研究所の施設「丹後魚っ知館(うおっちかん)」の隣にある。内部に入ることはできなかったが、外側から施設全体を見渡すことができ、窓ガラス越しに水槽や内部の一部は見えた。水槽の水面に動きがあり、音があるので、操業はしているらしい。しかし、飼育や排水の詳細までは知ることができなかった。
 ツアーメンバー一行は、施設前で「見学させて下さい」「市民との対話集会を」と求めるカードやOKSPの幟を掲げ、静かな形でRF社にプレッシャーをかけた。
【中央から右にかけて奥に見える養殖場の前で、静かにスタンディングアピールを行うツアー参加者たち】
【中央から右にかけて奥に見える養殖場の前で、静かにスタンディングアピールを行うツアー参加者たち】

 翌朝には市役所を訪れた。全参加者と市議の方々が一緒に市長面会を求めた。市長不在とのことで、担当幹部が応対。OKSPのN代表がメンバーを紹介するとともに、市長宛要望書を幹部に手渡した。また、直後に市議会を訪問。事務局室で議長宛要望書を幹部に手渡した。幹部たちが言を左右にしたことで、メンバーが激しく詰め寄る場面もあった。一部始終をマスメディアの皆さんが取材してくれていた。
【宮津市の幹部(中央奥)に市長宛要望書を手渡し、意見交換するツアーメンバーたち。左は報道陣】
【宮津市の幹部(中央奥)に市長宛要望書を手渡し、意見交換するツアーメンバーたち。左は報道陣】

 市と市議会訪問の後に、地元の方々と全国から集まったメンバーが情報交換する「学習交流会」を実施した。市内の会館で、地元市議の方々3人を含む約20人がテーブルに集まり、請願などを巡る議会内外の情報を交換し、全国各地の取り組み状況、この問題への思いなどを語り合った。
【学習交流会で情報や意見を縦横に交わし合う宮津の方々とツアーメンバーたち。この場での話で、少なくとも私の思考は随分深まった】
【学習交流会で情報や意見を縦横に交わし合う宮津の方々とツアーメンバーたち。この場での話で、少なくとも私の思考は随分深まった】

 メンバーから世界の魚養殖に関する情報も提供され、参加者たちは養殖場からの排水が化学物質などに汚染される危険、魚類が海に逃げ出す危険も改めて感じていた。
 市議の一人が「請願は採択すべき」と明言されたのは力強くうれしいことだった。ただ、ゲノム編集魚の背景にいる政府や企業の影響か、議会内もさまざまな形で揺れ、宮津市民や近隣自治体住民、漁業関係者にまでは問題が充分に知られているわけではないといった空気も感じた。
 また、ツアーメンバーからは「宮津だけの問題ではなく、全国各地が憂慮している」との発言もあった。返礼品で全国に流通し万一健康を損ねたら宮津市の責任になる。海という環境で全国がつながっている。鯛など魚の消費にマイナス影響が広がりかねないのだ。

 一連のアクションは、多くのメディアが熱心に取材してくれた。毎日新聞、長周新聞、朝日新聞、京都新聞などだ。なかでも毎日新聞はたんねんに頻繁に書いて下さった。長周新聞は宮津ツアー全体を一面トップで報じて下さった。感謝。

 少なくとも市議会は早期に住民説明会や養殖場視察を行い、問題解明の先頭に立つべきだが、こうしたアクションは背中を押している。市やRF社にも小さくないプレッシャーとなっているだろう。今後も、全国各地から宮津に足を運んだら、波状的な圧力につながり、議会の請願審査も市民の議論と行動も促進されるに違いない。

 宮津市内の北前船史跡「旧三上家住宅」で一冊の本を見つけた。天橋立観光協会が1973年に発行した『丹後の宮津』だ。「はじめに」にはこうある。
 「そのむかし、丹後は丹波の一部であった。(中略)『タニハ-田庭』といったのを、いつか『タンバ-丹波』というようになった(中略)大陸から水稲農法がはいり、その水田がすなわち『田庭-タニハ』であった」
 縄文~弥生のどこかの時点で、大陸から日本列島のどこかにコメが伝わった。その一つが丹波だったというわけだ。稲作で生産力を高めた丹波は勢力を増し、食の神様である「保食神」を祀り、大和の天皇に服従しない強力な存在となった。そこで大和は天皇が祀る「天照神」を丹波に移して威圧を加えたり、丹波の保食神を伊勢に移して天照神の相手神(豊受神)としたりしたという。
 そのことが現在、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮内宮と、食と農業の神様である豊受大神(とようけおおみかみ)を祀る伊勢神宮外宮の関係につながっているらしい。
 そしてその「丹波の保食神」がもともと鎮座していた元伊勢は、天橋立北端近くの「籠(この)神社」だとも、宮津の隣・福知山市の「豊受大神社」とも言われる。
 私は神道信仰者ではないが、こうしたストーリーが成立している背景には、丹波が食の豊かな地域である事実が存在していることだけは間違いがなかろう。豊かな山海の幸に恵まれた宮津で何よりホンモノを大切にしなければならない。ニセモノが最もふさわしくない地域なのだ。

 「麦ふね」の名の由来をnocoさんにうかがった。私の想像通り中島みゆき(札幌出身)の曲名とのことだ。『麦の唄』と『宙船』。めぐみさんとnocoさんの「踏まれても踏まれても立ち上がり、自分のオールは渡さない!」との決意とメッセージが込められている。

(以上)


関連記事

この記事のハッシュタグ から関連する記事を表示しています。

【NEWS!】ゲノム編集タマゴの臨床試験がまもなく開始される

【NEWS!】欧州議会、ゲノム編集食品表示義務を可決、日本も変わる必要あり

「有機農業の歴史・法制化の過程」の講演を聞いた感想

「ガンマ線からゲノム編集へ?「照射ジャガイモ」に終止符!」

【速報】ガンマ線からゲノム編集へ? 「照射ジャガイモ」に終止符!   

写真は鼻にとまるミツバチ。「養蜂、自然栽培に関わるものからみた「あきたこまちR」」

養蜂、自然栽培に関わるものからみた「あきたこまちR」

特集:遺伝子組み換えユーカリを止めるためにブラジルへ(その1)印鑰 智哉/ 写真はブラジルで植林されたユーカリを見上げた景色

《連載》遺伝子組み換えユーカリを止めるためにブラジルへ(その1)

最新記事

カテゴリー

アーカイブ

ハッシュタグ

OK$B%7!<%I%&%'%V%P%J!<(B

ページの先頭へ